私はリッチー・フューレイ Richie Furay の大ファンです

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私はリッチー・フューレイ  Richie Furay の大ファンです

10月5日、6日に東京ビルボードライヴ、10月8日に大阪ビルボードライヴに、私が大ファンのリッチー・フューレイが初来日公演をしてくれます。リッチーさん、何とか日本に来てくれないかな~と願っていたら、本当に来てくれることになりました。それもちょうど私が東京にいる日程に東京公演、関西に帰った日程に大阪公演!何という嬉しいことでしょう。神様は私に合わせて?くださった!ありがとうございます。
リッチー・フューレイ初来日公演詳細はこちらから
次の文章は、前のホームページ2009年にご挨拶として書いたものです。

今回は、私が10代の頃から大ファンだった、リッチー・フューレイについて書きます。私の高校・大学時代のニックネームは「真理」と「リッチー」を足して「マリッチー」でした。高校時代、真面目な生徒だった私はたいした寄り道もせず帰宅すると、毎日FM大阪の18:00からの1時間番組「ビートオンプラザ」を楽しみに聴いていました。当時、画期的なことで、新しくリリースされたアメリカやイギリスのLPレコードのA面B面をコマーシャルやおしゃべりを挟まずにダーッとかけてくれる番組でした。
ある時、リッチー・フューレイの在籍していたバンド、ポコPOCOの新アルバムでライヴ盤「デリバリンDeliverin’」が流れたのです。「これだ!」と私は自分の感覚にピターッときてレコード屋さんにすぐに買いに行き、毎日毎日聴きました。明快なカントリーロック、素晴らしいハーモニー~リッチー・フューレイはその中心人物でした。それからはリッチーの過去をたどり、それより以前のポコのアルバム、またその前の歴史に残る伝説バンド、バッファロー・スプリングフィールドBuffalo Springfieldのアルバム、またそれらの海賊盤を聴きあさったり、リッチー・フューレイファンの歴史が始まりました。私のレパートリーにカントリーがあるのは、カントリーロックの音から本当のカントリーに興味を持ったからです。その後、リッチーはポコを抜け、サウザー・ヒルマン・フューレイバンドを作りましたが、これは私自身はあまりリッチーにはよくないな~と感じていましたが、これも解散。
その後ソロアルバムを3枚出したあと、私のような一般ファンには情報がわからなくなってしまい、リッチーはどうしているんだろう?と思いながらも(今のようなパソコンやインターネットの時代ではない)オトナになった日々の忙しさにまみれていました。そしてやっとここ数年、リッチーの活動がわかってきました。
コロラドで教会の牧師をしながら、マイペースで音楽活動をしている様子がインターネット等で確認できます。いろいろなインタビューでの彼の言葉を聞き、ライヴしている彼の様子を見ると、現在66才(この文章を書いた時。現在は69才)である一人の男性の生きてきた人生に感慨深いものを感じます。バッファロー時代の仲間のスティーブン・スティルスやニール・ヤングのようなロックンロールスターになりたくて一生懸命やっていたのにそうなれなかった日々の挫折感、焦燥感…クリスチャン人生に目覚め、メジャーな音楽活動から離れ、少しずつ自信を取り戻し新しい自分になっていった日々…そして今は神様の大きな祝福を感じながら「カントリーロックの先駆者」であったことの軌跡に自信を持ち、楽しく音楽している…。

最近出たばかりのThe Richie Furay BandのALIVEという2枚組のライヴCDを渋谷タワーレコードで見つけ、ラッキー!バッファロー時代のものから新しい歌まで「これこれ!これをリッチーで聴きたかった」というプログラム。
66才、今、力が抜けて素敵です、リッチーさん。いつかコロラドへ行ってリッチーに会いたいなぁ。
リッチーのホームページは、www.richiefuray.comのぞいてみてください。

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